昨日日帰りツアーにて(^_^)
ツアーテーマ「史跡から学ぶ天皇家」第2弾(*^。^*)
(※第1弾についてはこちら→飛鳥地方(奈良)を散策してきたよん(*^。^*)
元号が「令和」に変わってから初の今回は、律令制度の成立と天皇制…みたいな感じ?
…つっても、そんな堅苦しいもんやなくて(笑)、訪れた史跡と天皇家の関わりとか、面白エピソード等がメインなんで、楽しく講師先生のお話を聞きつつ、ちょっとだけ雑学的知識が増えるかも??的な、お気楽歴史お勉強ツアーだよん(^_^)v

まずは、若草山向かいの「古都屋」さんで昼食(^_^)

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鹿達も換毛期(^o^)

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新緑が見事な奈良公園内を通り…

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インバウンドの方々と修学旅行生で大賑わいの(笑)東大寺へ(^_^)

入口に柵があり、普段は正面から入れない中門

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大晦日から元旦の朝までと、8月15日の夜だけ通れるようになるんだとか
特に8月は、万灯供養会が行われるんで、めちゃ綺麗ですよと講師のY先生(^_^)
一度は訪れてみたいなぁ…(^^ゞ

入場ゲートまで指定されて(笑)境内に入ると、すぐそこに大仏殿が(*^。^*)

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何気に野ざらし状態やけど(笑)、手前の八角燈籠ももちろん国宝(^_^)
表面に彫られた模様が素晴らしいよん(*^。^*)
Y先生曰く、「奈良時代の人々と同じものを目にしている」訳で…ロマンやなぁ~(^o^)

混雑の間隙を縫って(笑)中へ

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大仏様のお顔や光背の化仏の大きさに取り入れられている遠近法の妙(もちろん上に行くほど大きく)や、天井の格子のサイズからも伺える建物自体の巨大さ(それでも最初建てられた時の2/3になってるという…予算の関係らしい(笑)あ、現在の大仏殿は3度目、江戸時代の再建)などの豆知識も楽しかったけど、個人的に一番心に残ったのは、脇侍の仏様達の位置関係

即ち、大仏様の左(σ(^_^)達から見ると向かって右)に(ざっくり言うと)優しさの象徴な如意輪観音さま、反対側に、知恵・知識を象徴する虚空蔵菩薩さまの二尊を配しているということからも、いかに仏教が調和を重んじる宗教だったかということが分かる、と(^_^)
更には、左に配される方がちょっとだけ上位(左大臣&右大臣の関係と同じ)という思想から、当時はより「優しさ」を重んじていたという風にも捉えることができるんだとか(*^。^*)

思うに、優しさを心、知識を頭脳と言い換えるなら、心>頭脳になる訳で…「和をもって貴しとなす」にも通じるその思想は、まさにこの新時代にこそふさわしいんではないかと…
徒に対立を煽らず、お互いの立場を踏まえて話し合いながら、まず「和」の心で共通理解を図っていく…この「令和」という時代がそうあって欲しい、と切に願ってるよん(*^。^*)

…と、ちょっとだけ真面目?になったけど(笑)、あと一つ、なるほどと思ったのが大仏様の蓮華座に描かれた線画のこと
ここには仏教の経典における無限の世界観が描かれていて、その中心にいらっしゃる大仏様(毘盧遮那仏)という構図を、当時の日本における天皇のそれと重ね合わせる意味合いも持っていたと考えられる、というもの
大仏の建立動機については色々とあるんやろ~けど、聖武天皇のお心の中に、自分もそうありたいと思う気持ちがあったのかも…とか考えるのもまた興味深いよねん(^_-)-☆
いゃあ~…ホンマ歴史って奥が深いわ(^^ゞ

あ…そうそう、いつも修学旅行生で賑わっている、大仏様の鼻の穴=柱の穴くぐりなんやけど、そもそもあの穴は、横材を通すために開けられたのが、柱自体の寸法違いか何かで使えなくなり、勿体ないんであそこで再利用した…という可能性が大きいんだとか
つまりあの柱は、もともと別の場所で使われるはずだったという…(笑)
それがいつしか、鼻の穴と同じ大きさと言われて、何か特別な御利益があると考えられるようになったと(^o^)

ま、今の状況は、ある種アトラクション的な楽しみになってるんで(^o^)、修学旅行中の思い出作りには丁度いいのかも(*^。^*)
σ(^_^)的には、桜井識子さんの御本で読んだ、「賑やかさに閉口気味の毘沙門天様」が思い出されて(笑)、今日もきっと、「うるさいなぁ~もう…(^◇^;)」とか思ってらっしゃるんやろ~なぁ、と想像するだに可笑しかったよん(^o^)

帰りはもちろん南大門から(*^。^*)

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こちらにいらっしゃる仁王さま達は、通常のお寺の尊像と左右の配置が逆(^_^)
これは、平城宮からみて東大寺が左にあるので、先に書いた「左の方が位がちょっと上」の観点から、あえて通常と反対にして、平城宮(の中にいらっしゃる天皇)→阿形像→吽形像となるように配置した、という説が(今のところ)一番有力なんだそう(*^。^*)

さて、その後はバスで法華寺へ
こちらは聖武天皇のお后、光明皇后が創建されたお寺
(…と、その前に、藤原氏出身の彼女を皇后にするのに強固に反対したのが長屋王で、為に彼は無実の罪で自尽し、その屋敷跡に建つ商業施設がいずれも長続きしないのは、ひょっとしてその呪いなのでは!?(笑)とかいう話も(^_^))

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こちらの本堂内で、光明皇后お身写しとされる、ご本尊十一面観音さま…の御前立ちさま(昭和時代の尊像ながら、使われているのは本物の白檀!!これには当時のインド政府の多大な協力があったそう…ちなみにご本尊はカヤ材使用)をはじめ、国宝の維摩居士さまや、薄く開かれた玉眼のお目が印象的な、気品ある十一面観音さま、CTスキャンで、その胎内にぎっしりと経典や仏舎利容器が詰められていることが分かった文殊菩薩さま…など、素晴らしい仏さま達を拝観(*^。^*)

写真で見るご本尊は、かなりしっかりしたお顔立ちで(^_^)、この尊像が本当に光明皇后のお身写しとするならば、彼女はかなり闊達な女性だったのかも?とY先生、更に光明皇后の筆跡は大胆で、対する聖武天皇は几帳面で繊細なんで、何となく2人の関係がうかがい知れるような??(笑)てな冗談も(^o^)
(ってか…、こちらのご本尊は、先生の昔付き合っていた彼女にもよく似ているそうで(爆)、軽妙な口調で語られる剛柔織り交ぜながらの話には、毎度ながら終始笑いが絶えなくてめちゃ楽しい(^o^))
もちろん、その成立過程や(ついでに「法華滅罪之寺」という呼び名の由来とかも(笑))総国分寺=東大寺に対する総国分尼寺としての位置づけなんかもきっちりと教えていただいたよん(*^。^*)

そして最後は平城宮跡へ(^o^)

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予算の関係で(笑)発掘によって分かった柱の跡は、円筒形に刈り込んだ植木で表現(^o^)
んでも、大きな建物があったことはよく分かるよねん(^_-)-☆

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目指すは第一次大極殿(^o^)

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到着~!!(*^。^*)

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内部には高御座外観模型が(*^。^*)

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四隅には方位の四神(*^。^*)

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月にカエル…は兎と共に中国の伝説から

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太陽内には八咫烏…足が三本なのは陰陽道で陽=奇数から(^_^)

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他に鴟尾や…

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大棟中央飾りの模型なんかも(^_^)

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こちらの建物は、何と全部国産材使用のこだわりの造り(*^。^*)
柱1本1千万円とか何とか…んでも、どうせ再現するんやったら、それぐらい思い切ってくれた方がいいよねん(^_-)-☆

工事の様子とかもパネル展示で(^_^)

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その後朱雀門目指してウォーキング(*^。^*)

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周囲を取り囲んでいた塀も、いずれは忠実に復元する予定なんだとか…
生きてるうちに見られるといいなぁ…(*^。^*)
(ちなみに今のちょいショボい(笑)のは仮の塀)

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南門復元中(*^。^*)

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平城宮内を突っ切る近鉄電車、の図(笑)

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奈良県側は地下を通るようにして欲しいみたいなんやけど、奈良市民はこの光景が結構気に入っているんだとか(笑)(←もちろんY先生も(*^。^*))

そしてついに…

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到着(*^。^*)

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正倉院宝物に描かれた図から再現した当時の門前広場の様子(^_^)

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周囲に高く張り巡らされた塀と、南大門に向かって緩やかな登りになる地形、更に門を入ってもまだまだ大極殿は先に…というこれらの造りは、当時諸外国からの使者に対して、日本ってなかなか凄い国やん!?と思わせる意図もあったとのこと(^o^)
また、この広場で行われる催しには、天皇も姿を見せていたかも知れず、そう考えると当時は今よりずっと、庶民との距離が近かったのかも、てなお話しも(^_^)

残りの自由時間でσ(^_^)達は、「平城宮いざない館」を見学(^o^)

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…んでも、広すぎて半時間弱ではとてもとても…(笑)
おまけに、その他土産物館やレストラン等の建物も別に(^o^)
復元遣唐使船まであったよん(*^。^*)(←無料で乗船できるらしい)

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んん~…流石は古の奈良の都…
いずれはもっともっと整備されて、一大「平城宮跡テーマパーク」として、国内外の方達で賑わうようになるかもねん(^_-)-☆

でもって最後の〆は、当時の律令政治における天皇の位置づけ
先生曰く、皇帝が各部署を直接統括可能だった中国に対して、間に必ず「貴族」という存在を介するこの当時の制度は、ある意味天皇の立場を今と同じく象徴的なものにしていた、という見方もできる、とのことやった(^_^)
(←もちろんそれは時代の変遷と共に変化していく訳なんやけど)

以上、天気もずっと曇のままで暑すぎず、吹き抜ける風も爽やかな中、冒頭にも書いたとおり、笑いながら雑学的知識が楽しく学べて、しかも結構歩くんで健康にも良し、という、毎度ながら一石二鳥の素ん晴らしいツアーでしたん(^_-)-☆

※記事内で講師先生が話された内容については、聞いたσ(^_^)が自分なりに解釈して書いているので、実際とは異なってる部分があるやも知れません(^^ゞ
その点悪しからずご了承下さいねん(^_-)-☆

ではでは…今回も読んでいただいて、本当にどうもありがとうでした~(^_^)/~~