今年が日本書紀編纂1300年ということで始まった、名物講師Y先生の企画ツアー、7回目の今回は近場の大阪へ
※前回はこちら
まずは「かごの屋」さんにて…
密な環境の中(爆)ツアー向け御膳?をサクッと食して…
自由時間に応神天皇陵外堤を眺めたりした後…
最初の目的地な「叡福寺」にてY先生と合流、金堂内を拝観後に聖徳太子さまの御廟に参拝(*^。^*)
仁王門の扁額も、山号ではなく「聖徳廟」
このお寺のメインが太子の御廟なのがよく分かりますね、とY先生(^_^)
仁王さま達
初めまして、こんにちは
山門入って左手に金堂、正面奥に御廟
この配置にも扁額同様、御廟の重要性が如実に表れてるそう(*^。^*)
金堂(^_^)
中でお参りさせていただけたのは嬉しかったけど、ツアー故の悲しさで、滞在時間約1分ほど(爆)
御本尊の如意輪観音さまをもっとゆっくり拝見したかった
しかも、自由時間に再度参拝しようとしたら既に入堂禁止に
なのでせめても…と外からお勤め(^^ゞ
縁起はこちら(*^。^*)
そして御廟へ(*^。^*)
失礼してパチリ(*^。^*)
何故この地に御廟が?という質問に対しては、奈良(明日香)から見て西に当たるので、西方極楽浄土の思想からなんでは?とのお話しが(^_^)
仏教に深く帰依していた太子ならではかも(*^。^*)
境内には三重塔も(^_^)
是非又個人で参拝させていただきたいと思いますん
続いては「近つ飛鳥博物館」へ
いかにも安藤忠雄氏らしい、使う人の動線を全く考えてないお洒落な設計(笑)
最初に学芸員さんから説明を伺った後に各自で見学(^_^)
ちなみに、何故「近つ飛鳥博物館」なのかはここを見てねん(^_-)-☆
展示室には、本物&レプリカ取り混ぜての、様々な古墳出土品や埴輪、そしてある意味メインの1/150スケールの仁徳天皇陵古墳など、見どころが沢山やった(^_^)v
造られた当時の状態を再現
1/150でこの大きさオオーw(*゚o゚*)w
周囲の人と比べるとその凄さがよく分かるよん(^_-)-☆
当時のお馬さん(^_^)
小さくて可愛い
…ということでいよいよ大仙公園へ(*^。^*)
まずは、現在仁徳天皇…とされている方の御陵にご挨拶(*^。^*)
その後、各古墳を見学しつつ公園内を移動(*^。^*)
大阪では、戦後の高度経済成長期、宅地開発時に土を取るため、めちゃ多くの古墳が破壊されてしまったんだそうで、中には随分と貴重なものもあったらしい…
…そういう時代だったんやなぁ……
で、そんな中残ったものと、破壊されたのを資料に基づいて復元したものを併せて整備したのが、ここ大仙公園という訳で(*^。^*)
この日は連休中日だったこともあって親子連れが多く、すっかり地域の方達の憩いの場になってる様子やった
とはいえ、全然密な感じはなかったけどねん(^_-)-☆
そしてこの横断歩道を渡ると…
すぐそこには履中天皇陵古墳が(*^。^*)
いつか宮内庁の許可が下りて、調査できる日が来ることを祈るよん(*^。^*)
時にここ百舌鳥古墳群の造られた目的やけど、Y先生によると、当時は海岸線の形態が今と全く違っていて、この古墳群のすぐ側まで海が迫っていたらしい
なので大陸からの使節が船でやって来る場合、当然間近にこれらの巨大古墳を目にする訳で…
よって、日本の指導者の権力を誇示するための、ランドマーク的な役割を果たすためだったんではないか、とのことやった(*^。^*)
そうそう…
ここ百舌鳥古墳群のある上町台地の延長線上には大阪城もあり、秀吉の建てた大阪城(ちなみに今復元されてるのは家康が建てたもの)の地盤も、もしかすると巨大な古墳だったのでは…という説もあるんだとか
そして将来的に高性能の地中レーダーが開発されたら、その謎も解けるかもしれない…と
もしそうなったら、今ある古墳にプラス1されることになり、当然それぞれに対応する天皇の名前も、再度シャッフルして考え直す必要がある…と。
いゃあ~…めちゃ壮大なロマンやなぁ~~
……って、それまで生きてないやろ~けど(爆)
その他、そもそも「倭の五王」に対応する天皇は誰なのかという考察とか、毎度ながら面白くて興味深いお話しが沢山聞けたよん
Y先生、ありがとうございました
つ~ことで。
世界遺産に登録されたのは知ってたけど、訪れたのは初めてやったし、何より詳しい解説付きで見学できて有意義な一時が過ごせましたん(*^。^*)
…あ、叡福寺だけは、再度ゆっくり伺いたいけどねん(笑)
※ぼちぼち参加中(^^ゞ
まずは「かごの屋」さんにて…
密な環境の中(爆)ツアー向け御膳?をサクッと食して…
自由時間に応神天皇陵外堤を眺めたりした後…
最初の目的地な「叡福寺」にてY先生と合流、金堂内を拝観後に聖徳太子さまの御廟に参拝(*^。^*)
仁王門の扁額も、山号ではなく「聖徳廟」
このお寺のメインが太子の御廟なのがよく分かりますね、とY先生(^_^)
仁王さま達
初めまして、こんにちは
山門入って左手に金堂、正面奥に御廟
この配置にも扁額同様、御廟の重要性が如実に表れてるそう(*^。^*)
金堂(^_^)
中でお参りさせていただけたのは嬉しかったけど、ツアー故の悲しさで、滞在時間約1分ほど(爆)
御本尊の如意輪観音さまをもっとゆっくり拝見したかった
しかも、自由時間に再度参拝しようとしたら既に入堂禁止に
なのでせめても…と外からお勤め(^^ゞ
縁起はこちら(*^。^*)
そして御廟へ(*^。^*)
失礼してパチリ(*^。^*)
何故この地に御廟が?という質問に対しては、奈良(明日香)から見て西に当たるので、西方極楽浄土の思想からなんでは?とのお話しが(^_^)
仏教に深く帰依していた太子ならではかも(*^。^*)
境内には三重塔も(^_^)
是非又個人で参拝させていただきたいと思いますん
続いては「近つ飛鳥博物館」へ
いかにも安藤忠雄氏らしい、
最初に学芸員さんから説明を伺った後に各自で見学(^_^)
ちなみに、何故「近つ飛鳥博物館」なのかはここを見てねん(^_-)-☆
展示室には、本物&レプリカ取り混ぜての、様々な古墳出土品や埴輪、そしてある意味メインの1/150スケールの仁徳天皇陵古墳など、見どころが沢山やった(^_^)v
造られた当時の状態を再現
1/150でこの大きさオオーw(*゚o゚*)w
周囲の人と比べるとその凄さがよく分かるよん(^_-)-☆
当時のお馬さん(^_^)
小さくて可愛い
…ということでいよいよ大仙公園へ(*^。^*)
まずは、現在仁徳天皇…とされている方の御陵にご挨拶(*^。^*)
その後、各古墳を見学しつつ公園内を移動(*^。^*)
大阪では、戦後の高度経済成長期、宅地開発時に土を取るため、めちゃ多くの古墳が破壊されてしまったんだそうで、中には随分と貴重なものもあったらしい…
…そういう時代だったんやなぁ……
で、そんな中残ったものと、破壊されたのを資料に基づいて復元したものを併せて整備したのが、ここ大仙公園という訳で(*^。^*)
この日は連休中日だったこともあって親子連れが多く、すっかり地域の方達の憩いの場になってる様子やった
とはいえ、全然密な感じはなかったけどねん(^_-)-☆
そしてこの横断歩道を渡ると…
すぐそこには履中天皇陵古墳が(*^。^*)
いつか宮内庁の許可が下りて、調査できる日が来ることを祈るよん(*^。^*)
時にここ百舌鳥古墳群の造られた目的やけど、Y先生によると、当時は海岸線の形態が今と全く違っていて、この古墳群のすぐ側まで海が迫っていたらしい
なので大陸からの使節が船でやって来る場合、当然間近にこれらの巨大古墳を目にする訳で…
よって、日本の指導者の権力を誇示するための、ランドマーク的な役割を果たすためだったんではないか、とのことやった(*^。^*)
そうそう…
ここ百舌鳥古墳群のある上町台地の延長線上には大阪城もあり、秀吉の建てた大阪城(ちなみに今復元されてるのは家康が建てたもの)の地盤も、もしかすると巨大な古墳だったのでは…という説もあるんだとか
そして将来的に高性能の地中レーダーが開発されたら、その謎も解けるかもしれない…と
もしそうなったら、今ある古墳にプラス1されることになり、当然それぞれに対応する天皇の名前も、再度シャッフルして考え直す必要がある…と。
いゃあ~…めちゃ壮大なロマンやなぁ~~
……って、それまで生きてないやろ~けど(爆)
その他、そもそも「倭の五王」に対応する天皇は誰なのかという考察とか、毎度ながら面白くて興味深いお話しが沢山聞けたよん
Y先生、ありがとうございました
つ~ことで。
世界遺産に登録されたのは知ってたけど、訪れたのは初めてやったし、何より詳しい解説付きで見学できて有意義な一時が過ごせましたん(*^。^*)
…あ、叡福寺だけは、再度ゆっくり伺いたいけどねん(笑)
ではでは…今回も読んでいただいて、本当にどうもありがとうでした~(^_^)/~~
※記事内で講師先生が話された内容については、聞いたσ(^_^)が自分なりに解釈して書いているので、実際とは異なってる部分があるやも知れません(^^ゞ
その点悪しからずご了承下さいねん(^_-)-☆
※ぼちぼち参加中(^^ゞ